静龍の庵

運勢というもの

自分で占術を学ぶようになって一番目からウロコだったのは、運勢というものについての考え方かもしれない。

かつて私は運勢というものを、シナリオのようにあらかじめ決められていること、外側から強制的に押し付けられるナニカ、というようなイメージで捉えていた。
人のご相談を伺っていてもそういう表現をする人は多いので、この考え方が運勢という概念に対する、世間のスタンダードのようになっているのではないかと思う。

算命学を始めとした占星術を学び、いま、私の中にある解釈は、運勢とは自分自身とそれを取り巻く気の化学変化によって形作られる現実なのではないか、ということだ。

気、というのは陰陽五行思想の概念だから、他の理論に基づく占星術ではまた違った表現になるのかもしれないが、自分と環境との化学変化により何かが生まれるという考え方は、多分根底にあるのではないかと思う。

算命学では、というか私の学んだ占術では、全ては木火土金水の五行の気とその陰陽の相生相剋でできている、と考える。
自分自身が陽の金で家庭を表す西の座が陽の火なら、家庭が自分を剋す形になって、安定した家庭生活は望めそうにない、というような考え方で人の宿命を捉える。

持って生まれた宿命は人の設計図、オブジェクト指向でいえばクラスのようなもので、これは生涯変わらない。
しかし、クラスから作られたオブジェクトである人間は、周囲の気と化学反応を起こして、その時々で少しずつ変化する。Rubyなどの動的型付け言語では、実体化した後のオブジェクトに属性やメソッドを無節操に追加することが出来るが、イメージとしてはそんな感じだろう。

本来は頑固でマイペースな人が、その時に巡ってきた気の影響によって、ちょっと柔和になったりする。あるいは、日頃は大らかな性格なのに、急に他人の動向が気になるようになる。
日によってなんとなく気分が違う、というのは誰にでも覚えのあることだと思うが、要するに、化学変化によって脳のアルゴリズムにちょっと修正が入り、思考パターンが変わるのだ。

思考パターンが変われば物事に対する反応の仕方も変わり、結果として行動が変化する。行動が変わればその結果起こることも変わり、すなわち現実が変わってゆく。

それこそが、運勢というものの正体なのだろうと思うのだ。

たとえば雑誌の占いコーナーに「今日は事故に注意」と書いてあったとして、それは「事故が起こる」という出来事があらかじめ用意されているということではなくて、「気の変化の影響であなたは今日ちょっと注意散漫になっている。不注意により事故にあう可能性が高まるから気をつけよ」ということである。
そんな理屈っぽいことを書いてもつまらないから、占いの文章として分かりやすくドラマチックな表現が取られるけれど、その原点にあるのは、宿命=思考パターンがどうなっているか、ということなのだろう。

宿命は変えられないが運命は変えられる、というのも、要するにそういうことなのだと思う。
いま、自分がどういう状態なのかを把握しておけば、注意すべきことが分かる。注意すべきことがわかれば起こりうるトラブルを未然に避けることもできるし、逆に、強まっている気を活用して勝負に出ることも出来る。
そうした働きかけによって現実に起こることが変わり、結果的に運命が変わってゆく。

要するに、全ては自分次第なのである。

宿命を把握し、運勢の流れを意識しながら、自分が進むべき方向に向かって流れていく。
宿命がどのような形であろうとも、おそらくそうした生き方が、その人にとってもっとも満たされた人生を紡ぎ出す。

占術の役割は、人がそうして進んで行く上で時々にチラッと参考にする、一種の羅針盤のようなものを提供することにあるのかもしれない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>