静龍の庵

宿命と環境と占いと。

このところ、毎朝バス停で会う母子二人連れがいる。

お母さんは30代前半くらい、息子は2歳前後。お母さんと二人で話しているのを見ているとよく喋る活発な子に見えるのだが、私が「おはよう」と声をかけると、スーッと視線を斜め横に逸らして見なかったふりをする。

お母さんいわく、家族以外の人に対してはとてもシャイな子なのだそうだ。

こんな小さな子に対してそう振舞うよう躾けたりはしないだろうから、おそらくこれはこの子が持って生まれた性質だろう。
一方で、世の中には誰を見てもニコニコ笑ってついて行くような子もいて、そういう違いを目の当たりにすると、やっぱり人間には生まれながらの宿命というのがあるのだなと思わされる。

最近、占いの依頼を受けるときに、依頼者の方に「宿命と環境が人間をつくる」というようなことをお話するようにしている。

宿命というのは人の設計図、オブジェクト指向でいえばクラスだと言ってよいと思う。
クラスをインスタンス化して実体(オブジェクト)ができ、その実体が環境の中で周囲とやりとりすることで持って生まれた属性が上書きされて、人間が作られていく。

同じ設計図から作られた車でも、どの国の誰に買われてどう使われるかによって、10年後、20年後の様子は大きく変わる。エンジンの調子にも差がでるだろうし、全塗装されれば色だって変わるだろう。

人間は車よりよほど複雑なのだから、生まれた時代や地域、生家環境、知り合う人や経験する事柄などに、車以上に影響を受けて当然である。

命術に懐疑的な人の中には、「占星術が当たるなら、同じ日に生まれた二人は全く同じ人生を歩まなければ変だ」という理論を展開する方がいるが、そんなに単純なものでもないだろう。

算命学を始めとした占星術は、もともとは誰かが立てた仮説をベースにして作られたものなのだろうけれど、その後、長い時間をかけてデータの蓄積と分析、見直しが行われてきている。いわば、一種の統計結果のようなものだといえると思う。

なぜ同じ生年月日に生まれた人が同じ設計図を授かっているのか、それは私には分からないが、当たるか当たらないかといえば確かに当たる。

エジソンの逸話ではないけれど、「何故そうなのかは分からないが、実際そうなのだ」ということだ。

宿命を見た上で、相談者の方の話を伺い、そこから生きてきた環境を推察して、現在の状況と照らし合わせる。
そうすることで、悩みの原因や解決策がおぼろげに浮かんでくる。

占いは、というか命術による鑑定は、「黙って座ればピタリと当たる」というような魔法ではない。
むしろ、根拠とする理論は異なるにせよ、経営コンサルさんなんかがやっているコンサルティングに近いものだと見るべきではないかと、そんな風に私は捉えている。