静龍の庵

運勢を活用するということ

占いをサービスとして提供し始めた頃は恋愛がらみのご相談がほとんどだったのだが、最近、目に見えて運勢鑑定のご依頼が増えてきた。
たまたまそういう時期だからなのか、そういう人が増えてきているからなのかは分からない。

私が運勢を観る際に依頼者の方にいつもお伝えしているのは、運勢というのは予め書かれたシナリオではないですよ、ということだ。
陰陽五行思想を根幹に置く命術において、運勢とは、その時々に巡ってくる時節の気と本人の気との科学変化によって生まれる「傾向」のようなものだと思う。

例えば木性の人のところに同じ木性の気が巡ってくれば、木×木で同質が重なり「自我が強まる時」というようにみる。そこから、自立、独立の時であるとか、自分を頑なに守る時であるとかいった解釈をつけるのだけれど、スタートはあくまでも「本人の心の中で自我が強まる」ということであって、「独立する」というシナリオが神様によって用意されている…というようなことではない。

運勢とは、喩えて言うなら、人生という旅路のあちこちに落ちているアイテムのようなものではないかと思うのだ。
落ちているのを見つけ、拾い上げて、その時の自分に有用であれば、それを活用する。
川を泳いで渡ろうとしているときに浮き輪があるのを見つけたら、それを使ってより楽に、かつ安全に泳いでいくことができるだろう。
でも、じゃあ浮き輪がなかったら泳いではいけないのかというと、もちろんそんなことはない。ないならないなりに、自努力によって泳ぎ切れば良いだけの話である。
あたりをみまわせば浮き輪の代わりに一緒に泳いでくれる仲間が見つかることもあるだろうし、ユンケルみたいな強壮剤を拾って元気がつくかもしれない。

運勢もモノと同じで、使い方次第で防具にもなれば、自分を傷つける凶器にもなる。
位相法で合法になる運勢が足を引っ張る場合もあるし、散法が背中を押してくれることもあるだろう。
要は、その時々に巡ってきている運勢=傾向を把握し、それをポジティブな視点で解釈して、自分の人生に都合よく役立てていくこと。そんな風に向き合っていくのが、運勢とのうまい付き合い方なのではないかと思う。

運勢が自分を縛る足枷であってはならない、そんな風に考えている