静龍の庵

守護神法

算命学には、守護神法という占技があります。

思い切りかいつまみまくっていうと、その人の命式に不足している五行の気を守護神とし、何かの時にそれを使って開運する、みたいな話。

算命学の開運法では、この守護神法が使われることが多いと思います。

が、私の先生はこの守護神法はあまり重視しておられない。

どんな宿命にも意図がある。
宿命に過不足はなく、命式上で欠けている気があるとしたら、欠けていることになんらかの意味がある。

…そういう理論を展開していらっしゃって、私もこの考え方に賛成です。

例えば、冬生まれの丁火で命式に木がない場合に、火が燃え続けるために甲を守護神に取る、というのは理屈としては確かにそうだと思いますが、燃料となる木を持たずに生まれてきた丁火には、それはそれでなにか役割があるのではないかと思うのです。

変な喩えで恐縮ですが、自動車には通常ガソリンタンクがついている。でも、完全な電気自動車には、ガソリンタンクはありません(多分)。

ガソリンタンクのない自動車を見て、
「ああ、この自動車は欠陥がある。タンクをつけてあげましょう」
とガソリンタンクとガソリンで動く機構を取りつけてしまったら、その自動車は、環境に配慮するという電気自動車本来の目的を果たすことができなくなります。

おそらくその自動車は、「何か違う…」 という違和感を抱えて生きてゆくことになるでしょう。
そして、寿命を終えてあの世(というものがあればですが) へ戻り、
「あなたが目指していた『排気ガス削減』は達成出来ましたか?」
と尋ねられた時に、残念な思いをするかもしれません。

自分には人と比べて何かが足りない、という時に、まずは足りないことにどんな意味があるのだろうかと考えてみる。

足りない状態が完成なのかもしれないし、足りないところを埋め合わせたい、という欲求が心のうちから湧き出してくるなら、それに従ってみる。
その結果、埋め合わせるために足掻いた奇跡が、何かを連れてくるのかもしれません。

宿命がどういう形で開花するかは、その人の性質にもよるでしょうから、一概には言えません。

ただ、自分自身の本来の姿で生きるのが一番の幸せなのだとしたら、最大の開運法とは宿命に逆らわないことなのでしょう。

伝統的な算命学をやっている方には叱られてしまいそうですが(笑)、私はへそ曲りな女なので、そういう先生の考え方が割と気に入っているのです。