静龍の庵

今しかない

時間とは抽象的概念に過ぎない、という考え方がある。

「今」は過ぎ去った途端に過去という名の記憶となり、未だ訪れていない時間は未来と呼ばれる想像としてのみ形を持つ。
実存するのは「今、この瞬間」だけであり、過去と未来は人の脳の中にしか存在しない。

脳の中にしかないのだから、過去や未来に物理的にアクセスすることは不可能だ。逆に言うと、脳の中にあるのだから、自分の意識を変えさえすれば、過去も未来も自由自在に変えることはできる。

そのように曖昧なものに囚われるのはナンセンスなことであり、今、この瞬間にだけ意識を集中して生きること、それが平穏な心で生きるための秘訣である。

そんなような思想だ。

私は最近、この考え方が割と気に入っている。
今さえよければ良い、という刹那主義はどちらかというと非難される事が多いけれど、いま、この瞬間が幸せでなければ、今の連続である人生が幸福なものになるはずがない。

私たちはしばしば、過去を悔やんだり未来を憂えたりする。しかし、悔やんだり憂えたりしているその瞬間には、問題がないことが多い。

たとえば暖かい自宅のソファに座って缶ビールか何かを開けながら、今日しでかした失敗を思い出して悔やんだり、来月の営業ノルマが達成できなかったらどうしようと憂えたりする。
あるいは、この先もちゃんと仕事があるだろうかと不安がったり、いい歳して恋人もいない自分の将来を悲観したりする。

そして、自分は悩み多き不幸な人間だと悲しみに沈む。

ところが、そうした思考により苦しんでいるという状況を取り除いて眺めなおすと、そこには「暖かい部屋でビールを飲んでくつろいでいる自分」だけが残るのである。
つまり、過去や未来について悩むことをやめさえすれば、その瞬間は平穏であるということだ。

逆に言うと、今その瞬間が平穏で何の苦しみもないからこそ、すでに起きてしまってどうしようもないことや起きてもいないことを憂える余裕があるとも言える。

ならば、あえて不確かな過去や未来に想いを馳せて、「今この瞬間」の幸せを壊す必要はあるのだろうか、ということだ。

まだ全てを明快な言葉で語れるほどこのことについて理解しきれてはいないけれど、人が真に安定した心で生きるためのヒントは、もしかするとこの辺りにあるのかもしれない、と思う。